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2009年06月08日(月)更新

関西弁訳:ソクラテスの弁明 簡単なことばへの翻訳者の時代




ネットを始めたばかりの30歳の頃、
論語の「七十にして矩を越えず」という言葉を思い出した。

欲望のままに行動しても人の道を外すことはなかった、
という意味だったと思う。七十の時にそうあればいいなと。

しかし最近の私より一世代若い聡明な人達を見ていると、
五十にして矩を越えずになるんじゃない?と思える。
それくらい、哲学者が長年かけてたどり着いたことに
10年や20年早くたどり着きそうな人が多くなっているように思える。


ネットは今まで知ることができなかった情報の洪水をもたらした。
情報の中に溺れてしまう人が大半だが、取捨選択の術を知り、
普遍の法則にいち早く近づく人も確実に増えている。


北口裕康氏翻訳の「関西弁訳、ソクラテスの弁明」を読んだ。

あれほど遠かった文章が、1時間で全て入ってきた。
これからは難しい言葉を簡単な言葉に翻訳する力を
持った人が活躍すると確信した。


「無知の知」という言葉を知ってはいても、かつては
到底その境地に達する人は少なかったように想像するが、

私の周りには「そんなん当たり前やん」と体現して生きている、
私より若い層の人がちらほらと見えてきている。


それだけではない。
ソクラテスはどうやら道ばたでいきなり真実を突きつける
鬱陶しいおっさんであったようだ。

知はあっても広く伝授する方法は持たなかった。
当然、反感を買って多くの人には伝わらない。
己の死を持って後生に伝えるのが最大の術であった。

今、我々はネットをはじめ、外国語を集合知や機械で翻訳したり
メッセージを込めた音楽をダウンロードすることもできる。
アテナイ人にだけではなく、世界中に伝えられる。
伝える手段が段違いである。

そして、分かりやすい言葉への翻訳者という強い味方。


もしかして2000年経ってようやく、
我々はソクラテスから一つ進歩する時が来たのかもしれない。


#もうひとつの、簡単なことばの本を、訳者の奥様が書かれています。